×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids
動画

家のすぐそばで、家族の遺体が埋められていた… 死者7名、「史上最悪のヒグマ事件」のむごすぎる経緯

世間を騒がせた事件・事故の歴史

 

■家のすぐ近くに潜み、遺体を埋めていた

 

 気がつけばあたりは真っ暗になっており、三郎は恐怖に震えながらも、その晩のうちは何もできなかった。

 

 重苦しい夜が明けた。1210日朝、集落の住人によって、ヒグマの駆除を目的とした捜索隊が結成される。ヒグマはすぐに現れた。なんと太田宅のすぐそばに潜んでいたのだ。一行は驚きつつも銃口を向けたが、銃の手入れ不足のため、発砲できたのはわずか1丁だけだった。その一発も致命傷にはならず、ヒグマは逃走した。

 

 捜索隊がヒグマのいた場所を調べると、人間の遺体の一部と思われるものを発見した。それは、膝から下の脚部と頭蓋骨の一部だった。確認の結果、それはマユの遺体の一部であることが判明した。

 

 このヒグマの個体は、すでに人間の味を覚え、遺体の一部を食料として雪の下に埋め、保存していたということだろう。

北海道苫前町 ヒグマの事件跡地

■第二の事件:通夜へのヒグマ乱入

 

 マユと幹雄の通夜は、その日のうちに執り行われた。しかし、参列者は喪主の太田三郎、幹雄の両親を含めてわずか9人と少なかった。周囲の集落の人々は、ヒグマの襲撃を恐れて外出を避けたのである。

 

 悲しみに包まれたさみしい通夜に、まさかの来客があった。20時半頃、ヒグマが家の中に乱入してきたのだ。

 

 ランプの灯りは消え、棺桶はひっくり返され、遺体は床に散らばった。室内の人々は、大パニックとなったことは説明するまでもない。300m離れた家に集まっていた集落の住人たちが駆けつけたとき、すでにヒグマの姿はなかった。

 

 幸い犠牲者は出なかったものの、家の中は修羅場と化していた。妻の遺体が床に転がる様子を見て、三郎はどんな思いだっただろうか。

 

 ここで、ひとつの疑問が残る。なぜ、ヒグマは再び太田宅を襲ったのか? それは、すでにマユの遺体がヒグマにとって “確保した獲物”として認識されていたからだと考えられる。

 

 野生動物の中には、確保した餌を一時的に地中などに隠し、後で回収して食べる習性を持つ種もおり、このヒグマも同様の本能に従って行動した可能性がある。ヒグマは、奪われた獲物を取り返しに来たのではないだろうか。

 

 

※後編は記事のリンクからご覧になれます
→<「腹を裂かないでくれ!」妊婦が叫ぶも… 7名を惨殺したヒグマの「恐ろしい正体」とは

KEYWORDS:

過去記事

ミゾロギ・ダイスケ 

昭和文化研究家、ライター、編集者。スタジオ・ソラリス代表。スポーツ誌編集者を経て独立。出版物、Web媒体の企画、編集、原稿執筆を行う。著書に『未解決事件の戦後史』(双葉社)。

最新号案内

『歴史人』2025年12月号

日本人と『論語』の歴史

「子曰く」の書き出しで知られる『論語』は、戦国大名や幕末志士も学んだ学問であり、今日でも多くの人々に影響を与えている。今号では、基本的な内容から登場人物までを解説し、孔子が残した「生きる力」について考察していく。